子供と一緒に千代田図書館(九段南)に本を返しに行ったら、休館日だった。
仕方ないので、「休日ポスト」に返却して、同じ庁舎1階の「さくらベーカリー」で、あんドーナツを買った。
これからどうしようということになって、きままに、歩けるところまで歩こうということになった。
結局、中央区勝どきまで歩いてしまった。
まず、北の丸公園を散策、皇居東御苑を通り抜けて、大手町から有楽町へ。ファーストキッチンで昼食のあと、銀座の教文館に立ちよった。そして、歌舞伎座の人ごみを眺めたあと、築地本願寺へ。最後は、勝鬨橋を渡って、スーパーで買い物して、地下鉄で帰宅。
目的もなくぶらぶら散々歩きながら話していて、こどもの疑問や興味がどこにあるのかがよくわかった。
(1)最近、葬式のことが気になっているらしい。仏教やプロテスタントの葬式は、カトリックの葬式と何が違うのか。(きっと、白柳枢機卿の葬儀ミサが疑問のきっかけだったのだろう。)
(2)死んだらどうなるのかということについて、カトリックとほかの宗教では考えに違いがあるのか、ないのか。無宗教の人でも天国に行けるのか。生まれたばかりの赤ちゃんが死んだ場合、天国に行くのか。
(3)神の存在を確認することがでなくても、神を信じるべきなのだろうか。神の実在を確信できなくても、それでも神を信じるのは、なぜなのだろうか。
(4)「偶然」ということは、ありうるのだろうか。
(5)ドラえもんの話は、なぜ未来や過去、時間の流れる早さなどといった、「時間」がテーマとしたものが多いのか。
…ドラえもんのことは分らないので、とりあえず(1)のことについて教えた。
そのほかのことは、歩きながら話し合っているうちに、子供なりに答えを出していた。その中で印象ぶかかったのは、死者のために祈るということが、どういう意味をもつのかについて、いろんな仮説を立てていたことだ。たとえば、死者が天国に入れるように祈るのだとしたら、天国に入るまえに、死者がとどまる別の世界があるのではないか、と。
そのほかにも、神が存在する場合と存在しない場合、信じる場合と信じない場合を組み合わせて、死後どうなるか場合分けをして、仮説を検証していた。
結局のところ、自分の信仰生活が理性と矛盾しないことを確認したい、という欲求がとても強いのだろう。それと、自分で仮説をたてて、それを論理的に検証していくことは、小学1年生でもできるのだということ。
ひょっとしたら、小学校低学年でも、やさしく教えれば、論理学や哲学の基礎を身につけられるのではないだろうか。「14歳からの哲学」という本があるけれど、小学生にも哲学は有用かもしれない。
ところで、東御苑には、天皇陛下お手植えの古果樹があるのだけれど、3月にモモを追加で植え込むらしい。何年も後のことだろうが、実がなったら、味見させてほしい。(無理ですか?>宮内庁)