東大を散歩

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急に両親が尋ねてきた。私の自宅から、お茶の水に向かい、神田明神、湯島天神を通って本郷、上野まで抜けるという。また教会を休んで神社に付き合うのかと思うと、ちょっとがっがりだったのだが、久しぶりなので、子供と夫婦でつきあうことにした。

神田神社の裏参道の階段を降って、蔵前橋通りから中央通りを上がったところにある、湯島神社に立ち寄った。梅は蝋梅だけ咲いていた。受験生で大賑わいだった。ここから本郷通りに向かって行き、赤門から東大に入った。

家族で、東京大学を散歩した。

家族で、東京大学を散歩した。

母の家族は皆、むかしから「帝大」に一度行ってみたいと言っていたのだが、残念なことに、叔母は去年亡くなったし、祖母もだいぶ前に亡くなっている。

母の父は、外地生まれで、しかも若くして死んでしまったので、残された家族にとっては、父親にゆかりのある場所というのは、麻布の住宅のほかには、母校の「帝大」しか思い浮かばないという。

母の家族が戦中住んでいた場所は麻布龍土町で、先日その近辺を尋ねたそうだが、当然のことながら、今では当時の建物がまったく残っていなかった。(近くにあった旧陸軍の建物・東大物性研も何年か前に取り壊されている。)

幼いときに父を亡くした母にとっては、東大は、父親の思い出にふれることのできる唯一の場所だといってよいだろう。きょう、当時と同じ場所、同じ建物を尋ねることができて、長年の念願がかなって、だいぶ喜んでいた。(きょうここにこようと思い立ったのは、叔母の死が契機になっているだろうと想像する。)ひょっとしたら、母が今日踏んだマンホールのふたは祖父が踏んだものかもしれないし、私が座った椅子に祖父が座っていたかもしれない。ひょっとしたら、私の妻と同じ研究棟に通っていたとしても不思議ではない。

生門から大学を出て、上野まで歩いて行き、朝鮮の食材の店で買い物をして、解散。九段から上野まで、まあ、よくもこれだけ老人が歩いたものだと感心した。

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